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新社屋建設に伴う「地鎮祭」を催しました。

夜の縁起の良い雨の降り込みは上がり、地鎮祭の当日は梅雨の晴れ間がのぞく良い日和に恵まれました。式典は当社の役員・幹部全員と、建築会社の関係者ならびに顧問会計事務所からの参列のもとに挙行されました。
平石井神社の佐藤宮司による祭祀は、ひちりきの雅な音色も加わり誠に厳粛なものとなりました。
奏上された祝詞は、まさに地に響き天に抜けるようでした。令和元年の佳き日、神恩に満たされ、これからの工事の安全、会社の隆盛、関係者一同の多幸が確信されたました。
かねて懸案だった新社屋の建設が、いよいよ今日から始まります。




「視察研修旅行」に行ってきました。

社員相互の親睦と見聞を広げることを目的に、毎回地学的なテーマを含めた社内研修旅行を行っています。今回は「熊本地震被災地視察」として、平成28年4月に発生した「熊本地震」による被災地を巡る企画で、全社員の内35名の参加のもとに催行しました。

巨大地震「南海トラフ地震」の発生確率が今後30年の内に70~80%と迫り来るなか、四国地方に生きる私たちにとっても、とても人事とは思えない地震の被害跡を目の当たりにしました。
熊本地震は、平成28年「布田川断層」と「日奈久断層」が連動する活動で発生した地震です。4月14日にM6.5、震度7の地震(前震)が、16日にM7.3、震度7の地震(本震)が熊本地方を襲いました。この地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしますと共に、今もなお地震の被害に苦しんでおられる方々に対しまして謹んでお見舞い申し上げます。

また、今回の視察研修旅行を支えてくださった高松商運から添乗の中村さん、九産交バスの木村ガイドさん、運転の須崎さん、熊本城でガイドしてくださった3名のガイドさん、益城町の被災地で自ら被災され不自由な暮らしの中で案内~説明してくださった永田さん、NPOの西さんをはじめ、地元の多くの方々に感謝申し上げます。

【視察レポート】
STOP1:「熊本城」

九州新幹線で熊本駅に着後、バスで最初の視察地となる熊本城二の丸に直行しました。
3班に分かれ、専属のガイドさんから説明を受けながら城内を巡りました。熊本城の被害状況は、TVでも見ていました。飯田丸櫓が縦一本の石垣で辛うじて支えられている姿は衝撃的でした。
発生から約3年を経て天守閣と連立櫓については修復が進んでいましたが、長塀をはじめ各所で崩壊する石垣は、まだ殆ど手付かず状態に見えました。ガイドさんによると、全ての修復には20年、総工費は634億円(内、425億円は石垣の修築)を要するとのことでした。加藤神社の境内から見上げる天守閣(昭和35年復元)は、たとえ修築中であってもとても立派な構えです。これまで“地震が少ない熊本”だったようですが、江戸時代の265年間で26回の地震に見舞われ、この内7~8回は大地震だったとのことです。地震が少ない熊本との定評がなぜ生まれたのか?ガイド氏も不思議がっていました。
加藤清正が築いた熊本城は城郭全体が台地状の小山にのる平山城。市街地に接するこの台地は、「Aso-4」と呼ばれる阿蘇噴火による火砕流堆積物(層厚10~50m)で形成されています。この時の火山灰は遠く北海道におよび15cmほど堆積しているとのことです。驚くべきは、この台地全体が今回の熊本地震の地震動で水平に移動したということです。
また、加藤清正の築城当時、城内に120ヶ所もの井戸(深度30m~40m)を設け、現在も17ヶ所の井戸が残存しているとのことでした。ガイド氏によると、これは加藤清正が朝鮮出兵の際、ウルサンの戦いで10日間の籠城を余儀なくされた苦い経験によるものでは?と話されました。また、井戸の掘削自体が、地質調査を兼ねていたのでは?との推察には新しい歴史観が生まれました。
いずれにしても、水資源の重要性、地質調査の重要性は今も昔も変わらないようです。







STOP2:「水前寺公園」

言わずと知れた天下の名園です。正式には水前寺成趣園と呼ばれ、豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にした桃山式回遊庭園(栗林公園と同じ大名庭園)で、東海道五十三次の景勝を模したといわれ、熊本藩細川氏のご威光が感じられます。
熊本地震の発生後、この銘水湧く池の大部分が干上がり、池底が露出した状態になりました。水が枯れた原因は不明で「地震の影響で(湧水の)水脈が移動した可能性がある」とされていました。
この干上がり現象は、約1ヶ月後の5月17日には、ほぼ元の状態に戻り、落胆していた熊本市民を勇気づけたそうです。私たちが訪れた時には、そんな事件など何もなかったように澄んだ水に鯉が泳ぐ美しい風景を見せてくれました。





STOP3:「益城町」(熊本地震の「本震源エリア」)

益城町は本震の震源地で、多くの家屋が倒壊し、ここでも沢山の方々が亡くなられました。仮設の益城町役場前で、地元で農業を営み自身も被災者で、今も仮設住宅に住まわれる永田さん(地元公認ガイド)と合流。地震断層が地表に現れた見学地で2班に分かれ、もうひとり合流したガイドの西さん(地元NPOから)に引率され、説明を受けながら見学しました。現地では丁度、京都大学の研究者が調査孔の観測に来られていて、研究者ならではのお話しを思い掛けず聞く機会にも恵まれ、より詳しく知ることができました。
この一帯は農地で、約3年を経過した今は地震断層を直接目にすることは出来ませんが、断層を境に大きく横ずれした畦、破断された用水路、根っこから傾いた電柱、被災で人の住まない家屋等は地震規模の大きさを知るには充分でした。地震断層は、傾角70°の正断層。2.5m右ズレ・1.7m上下変位し、地表に現れた地震断層による亀裂延長は180m。これは、阪神淡路地震の野島断層を超え、世界一だそうです。また、被災者でもあるガイドの永田さんからは、沿道の仮設住宅をバスから横目にしながら、仮設住宅での暮らし、私生活の変化、復興への道のり等について生々しく、しかも決然と語ってくださいました。一日も早い復興を願うばかりです。







STOP4:「阿蘇内牧温泉」

バスは、益城町から大津町を経て、阿蘇外輪山が1ヶ所だけ切れて「白川」が流出する立野から世界一の規模を誇る阿蘇カルデラ平原に入ります。このルートは本来、国道57号を通るのですが黒川に架かる「阿蘇大橋」が大規模な斜面崩壊で崩落。この地でも多くの若い命が失われています。仮設橋の架かる迂回ルートで南阿蘇村~阿蘇市に入りました。阿蘇カルデラ平原を縦貫する豊肥本線は至るところで、今も寸断されたままです。到着した阿蘇内牧温泉は、今夜の宿舎。内牧温泉には130ヶ所を越える泉源があります。これらの泉源は熊本地震の被害を受けて一時、温泉の湧出が止まっています。その後、九州大学の調査で原因は地下50mから上の地層が水平に約1.5m移動した事による泉源井戸の損傷であり、温泉脈~温泉貯留層自体にダメージは受けていなかったことが判明しました。お陰さまで、宿舎のたっぷり温泉にゆっくりと浸ることができました。内牧温泉の泉質には種々あるようですが、宿舎(阿蘇プラザホテル)の温泉は阿蘇カルデラの中にありながら、泉質が中性の「ナトリウム・カルシウム-硫酸塩泉」は意外でした。泉源は、掘削深長647m、湧出温度45.4℃、湧出量163リットル/分です(温泉掲示より)。







STOP5:「大観峰」

生憎の天気で、全く視界が利かないとのことで中止。ここは外輪山上の眺望地で、本来なら阿蘇五岳・噴煙上る中岳、さらに遠く九重連山が一望できる絶景ポイントです。

STOP6:「阿蘇神社」

阿蘇神社は、阿蘇カルデラ平原にあり、紀元前の創立から約2,300年の歴史を有し、肥後国一の宮であると共に、全国に約500社ある「阿蘇神社」の総本社。この神社が受けた地震被害も大きく、九州最大規模の楼門や拝殿が倒壊した惨状は当時の報道で目に焼き付いています。
この神社の特徴のひとつが、楼門~拝殿~本殿の軸方向(東西)に対して、参道がこれに直交する南北方向に伸びることです。阿蘇神社のある阿蘇市一宮町宮地は、阿蘇五岳がもたらす地下水の自噴地帯(メカニズムは写真参照)となっていて、参道沿いの土産物店前やそこかしこに自噴井戸があり、それぞれに名前がつけられ風情のある水風景をなしています。至るところで湧く清冽な水が流れを見ていると、本当に心が蘇生する感じがします。ここ宮地地区の自噴井戸の深さは50~60mから100m。参道のはずれで、あれこれキョロキョロしていると初老の方から声を掛けられました。すぐ地元の、吉田さんで「よかったら、ウチの井戸を見て行く?」と誘われ、お言葉に甘え見学させて貰いました。なんでも明治のはじめ頃に先々代が100m近く打ち抜いた井戸(写真参照)で自噴水頭はG.L+2mになるとのことでした。気が付くとバスの集合時間。親切な吉田さんにお礼と自己紹介をしてその場を去りました。











STOP7:「草千里」

時間の都合で阿蘇五岳のハイライトであり活発な噴煙が上がる中岳は行程から外されました。凹状地に草原が広がる草千里は、旧火口跡。あたり一帯は濃霧(雲)に包まれ、殆ど眺望が利かず残念でした。寄生火山である「米塚」は、熊本地震で火口付近に環状の亀裂を生じましたが、当日は山体をみることが出来ませんでした。根子岳はじめとする阿蘇五岳の草地斜面は、今回の地震で至るところでズリ落ち赤茶色の地肌が露出していました。これは、外輪山についても同様です。このような表層滑落の大規模なものが、昨年(平成30年)9月の「北海道胆振東部地震」(震度7)でみられた斜面表層の全面滑落なのだろうと想像されました。
広大な斜面草地には赤牛などが放牧され、のどかな風景が広がっています。自然現象がもたらす静穏と猛威の間で、私たちは生かされているとの想いを胸に阿蘇熊本を後にしました。







【あとがき】

最後に、今回の視察研修旅行を企画し、旅行期間中お世話をしてくれた幹事・サブ幹事のお二方へ、ご苦労様でした。お陰様で安全で充実した旅行を終えることができました。また、旅行中の留守を守ってくれた社員の皆さんにも、この場を借りてお礼を言います。


第11回安全衛生大会を開催しました。

第11回となる今大会は、サンメッセ香川に会場を設けて社員・役員の全員参加の下に開催しました。前年度の反省を踏まえ、今年度こそ“災害を起こさない、遭わない”、“自分の身は自分で守る、相手の身も自分が守る”をスローガーンに参加者全員でゼロ災害の達成を誓いました。
大会では、前年度の安全衛生諸活動についての評価・反省に続き、今年度の安全衛生管理計画書の周知、今年度の基本方針・目標の共有等が行われました。安全衛生委員からのコメント、総評の後、締めくくりに社員代表による力強い安全宣言をもって閉会しました。
なお、昨今社会問題となっている“職場のパワハラ”撲滅に向け、当社でもその具体行動のひとつとして、特定社会保険労務士の山下由美子先生をお招きして「ハラスメントのない職場環境」と題した特別講習を企画しました。

大会のあとは、機材センターに移動し、新入社員(2名)の歓迎会を兼ねたバーベキュー大会が行われました。安全衛生を守るために大切な「コミュニケーション」。恒例となっているバーベキュー大会は、日頃は交流の機会が少ない社員・役員が揃う貴重な機会ともなります。
大会へ参加の皆さん、そして準備・運営の全てを担って下さった技術部の皆さん、ご苦労様でした。気持ちも新たにして、労災事故の撲滅と労働安全衛生の確保に取り組みましょう。








「香川高専生のための仕事研究セミナー」に出展しました。

香川高専産業振興会ならびに香川高等専門学校の主催による、「香川高専生のための仕事研究セミナー」に出展しました。
同セミナーは、年に一度開催されていますが、弊社は初めての参加です。同セミナーは、同校で来年(平成32年)の卒業~就職となる建設環境工学科・機械電子科・電気情報科・機械科および専攻科の学生ならびに同下級生(インターン参加)を対象としています。
このイベントは、同校の就職希望学生と求人企業との最初の接点となるもので、今回の参加企業は県内外から「午前の部」・「午後の部」に分かれ156社が参加しました。

当社のブースを訪問下さった学生の皆さん、最初はやや緊張の面持ちでしたが、次第に打ち解けて遣り取りされていました。

当社の担当者からは、仕事の概要、地質調査は何のためにするのか、どのような事をして、どのような報告をしていくのか説明。成果品となる報告書の作成過程で「三次元解析」等といった最新技術を取り入れている他、新しいことにはどんどんチャレンジできる社風があることを伝えました。さらに会社が仕事に必要な資格の取得を奨励しており、手厚い資格手当がある等、当社の特色をアピールしました。

当社のブースを訪問下さった学生の皆さん、今夏のインターンシップで再びお会いできることを心待ちにしています。
「土と岩と水」の領域で、私たちと共に、社会の安心・安全・快適につながる仕事をしませんか?

※当日の会場風景の写真が、香川高等専門学校のホームページ
http://www.kagawa-nct.ac.jp/に掲載予定です。










「日本応用地質学会中国四国支部/設立25周年記念シンポジウム」に参画しました。

当社が所属する一般社団法人 日本応用地質学会 中国四国支部の設立25周年記念シンポジウムが、HOTEL MYSTAYS松山(松山市)で開催されました。テーマは「応用地質の基礎(これまで)と発展(これから)」。招待講演に、日本応用地質学会会長の脇坂安彦氏から「応用地質学のこれまでとこれから」、続いて山口大学副学長の田中和広氏から「大学における地質技術者の育成について」とそれぞれ題された基調講演を戴きました。
引き続いて支部会員の中堅技術者から下記4題の一般講演がありました。当社から谷野宮(技術部調査課長)が、時流に合った意欲的な発表を行いました。

【シンポジウム一般講演の題目・講演者】
1.「応用地質における3次元地質モデリングの活用」:田村ボーリング㈱/谷野宮竜浩
2.「四国三波川帯の変斑れい岩はどこから来たのか?」:㈱ナイバ/木村一成
3.「四国における水文調査事例」 :㈱四電技術コンサルタント/露口耕治
4.「さまざまな可視化技術を活用する時代へ」 :㈱日本海技術コンサルタント/片山直樹

今年7月に広島県・岡山県と愛媛県を中心とする未曾有の「西日本大水害」が発生しました。この関係で、今回の記念行事の開催も一時危ぶまれましたが、鈴木支部長の下で会員技術者諸氏や大学や関係各方面の方々の尽力で無事盛会裏に終わることができました。
この災害に対しては、当支部長の鈴木茂之先生(岡山大学)を団長とする災害調査団が結成され岡山大学・香川大学・徳島大学の諸先生ならびに当社をはじめ各会員企業から地質技術者が中国・四国各地の被災現場の調査にあたりました。
今回の記念シンポジウムに先立ち、一般公開で「平成30年7月豪雨災害調査報告会」が開催されました。この報告会・質疑応答の模様は、NHKテレビの取材を受け夕方のニュースで放送され、当支部のアウトリーチ活動の一端を担うこととなりました。